IT企業塾*挑戦の日々

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変わるもの変わらないもの



今までよく夢や目標をもちなさい。といわれた。
あるけれど、こころの面から導いてくださる方はいませんでした。

夢をかなえるために、どうモチベーションを保つか、心のつぼをいつも上向きにするには、
目標の設定仕方や、精神面でこんなに実践的なものは初めてでした。

同時に、教えてくださる方の、気持ちが伝わり、それは、みんなに、人生を掴んで欲しい、
もっと幸せになってほしい・・言葉では言い尽くせません、感じるものがありただ、ただ
最後まで受講させてくださったこと、ありがとう ありがとうという想いで一杯でした。



まだまだ目覚めた人には程遠いレベルですが、一つ一つ頑張ります。


去年の冬、行動できず、縮こまっていた私は、企業塾で一歩踏み出す勇気をもらいました。
小さな成功体験が、次の行動に移す原動力になっていきました。

一歩踏み出せなかったのは、なぜだったのか、勝手にできないと決め込んで、変えられるものに気づいていなかったこと、認識を変えられないでいたこと。感情のフィルター。

人前にでるの話すのも、嫌で、得意なものも、ITも分からない、とにかく何もなかったところから、始まりました。
勝手な自己評価不安。そんなものに捕らわれていました。

農家の方に会うのは恐れ多くて、話すのも苦手でした。
いちど、話すと、作っている方の真摯な想い、気づけば、書いていました。

奄美にこんなにおいしいもの、優れたものがあるんだ。凄い人がいる。
まだまだ、分からないことばかりだけれど、知ってもらえた嬉しさと

想いが伝わっていく、つながる、あたたかいものを感じていました。


企業塾に出会わなければ、なかったことです。

強く思ったことは、伝わっていくんだ、自然に行動につながるんだ。
気づけば不安や恐れは、消えていました。
感情のフィルターを取り除いたのものは、「伝えたいものがある」
ということでした。それから、出会いが広がり、環境が変わりはじめました

祖母が暮らした奄美、懐かしい思い出、真摯に生き、素晴らしい人に変えていく人の存在
作り手の想い、形や場所は変わっても伝え続けます。
まだまだ知らないことばかりだけど、もっと知っていきたい。奄美が好きです。


今いる環境を、奄美を、良くしていこう、働く場所や年齢が違っても意欲が高い方々と
一緒に同じ場所で同じ時間を過ごせたこと、本当にたくさんの出会いがあり感謝しています。

仕事の枠を超え、時を忘れてお互いの夢を語り合える仲間ができたことに、言葉では言い表せない想いを感じています。

小さな場所から奄美を発信していく 人に生き抜く力あると信じていく
この想いに変わりはありません

これからも、企業塾でいたただいた、たくさんのメッセージを糧に、力を発揮していきたいと思います。
きっと、自分も、家族も、事業も、奄美もよくなると信じて、与えられた場所でまた精一杯頑張ります。

たくさんの方にあたたかく見守ってくださり、頭が上げられません。本当にありがとうございます。
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by fukui2006 | 2008-01-21 06:04

父の涙

実家に帰り、父に想いのたけを話した。

体がもう丈夫な状態ではないこと、今のまま体を酷使して働いては危ないこと。

経営のことは、まだほんの一部しか知らない。ただ学んだこと、思ったこと、大切なアドバイスをいただいたことを伝える、自分はこう考えるということしか言えない。
「小さな・・」の青い本と稲盛先生の本を読んで、これはどうなんだろう、こうしたらもっと良くなるんじゃないか、何の経験もない自分に、何ができるかわからない、でも「変わって欲しい」
その一心だった。

今までは、頑として人の話を聞き入れなかった父が初めて、面と向かって話をきいてくれた。
話たらどんな言葉が返ってくるか、正直怖かった。

自分はもう若くない、これからのこと・・。
職人気質の父だ。きっと、自分の得意分野以外になると、色々な感情を抱きながら働いて
きたに違いない。

「ごめん・・」「本当に・・」
「今年は変わる」

みんな欠点だらけだ。許す許さないは私たちの仕事じゃない。今、この時、父は変わりたい、今を変えたい、心からそう思っているんだと感じた。
さなぎが蝶々になるとき、力を必要とする。今そんな時なんだと思う。

実家は両親が祖父母と暮らすために、引越し。名瀬でもまた引越し。落ち着かないけれど、新しく生まれ変わる契機だと信じたい。


父が目に涙を浮かべてしんみりとした空気がしばらく流れました。父の心にたまっていた何かがあふれ出しているように感じました。
これまで経験したものはきっと何かを掴みとるためだと信じたい。



今まで、本当に恥ずかしい話だけれど、みんな頑張っているのに、何だか方向性が見えなくて、まとまりのない家族だった。

みんなでそろって朝ごはんを食べたことが、嬉しかったと、妹も泣いていた。
私は泣かないと決めた。

家族経営で成功しているところはどんなところなんだろうか、どのように、世代交代したんだろう。何が子どもたちをひきつけたのだろう。幼い考えだと思う。けれども色々なことを考えさせられた。
枝葉ではなく、独立していることが一番良いと思う。

ピザやさんは今、工事が終わるまでしばらくお休みにさせていただいています。
これまでの歩みを振り返り、次のステップにつなげて、不安や恐れを成長に変えていきたいです。
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by fukui2006 | 2008-01-07 23:29

2008年

元旦。
早朝4時から恒例のおにぎり作りが始まった。なれない作業に加え、クーラーにあたり続け
祖父の祝いの準備とサンゴンに、祝い唄を聴きながら、気づけば泥のように眠っていました。
これを毎日続けている母に頭が下がる想いがした。


長い人生を生き抜いてきた祖父、祖母、いつも元気を与えてくれる。

小さい頃からよく病気をして、赤ちゃんの時は、ハイハイも他の子とは違い、仰向けでいつも亀のようにバタバタしていたらしい。
弱視でミルクものまない、喋らない、そして何より愛想もない、この子は長くない・・と言われていたそうだ。

祖母と幼いころの話から、自分が何もないところから、今のお店や家を建てていったこと、気づけば3時間も話こんでいた。

祖父母は、小さい頃、さびしい思いを私がしないように、一緒に遊んでくれる仲間であり、叱るときは、本当に鬼かと思うほど厳しい教育者でもあった。家族の健康をいつも心配してくれるやさしい祖母でもある。

じじバイクとよばれる、バイクのかごのせてもらい、はしゃいで、夜中まで、真剣に祖母とトランプをして、二人で笑い転げたこと、ご飯一粒のこせば、押入れに放り込まれ、閉じ込められたこと。(何度「クソばばー」と壁にらくがきしたか!)
夏の暑い夜は、蚊帳に入り、うちわで私が眠るまで仰いでくれていた・・。

今でも思い出す。

もやしの種10粒から今の家は始まった。リヤカーを引きながら、野菜を売って、ただ目標に向かって働いたこと。

女性が学問なんて必要ない時代だったけれど、子どもには絶対必要だと思って、必死で学校に行かせたこと。

商人として、女性として、母として生き抜いたことを語る祖母の表情は、世間でいう高齢者ではなかった。

経営のことなんて、学問も無かったし体も弱かった、でも何か掴みたくて、毎日リヤカーを引く生活を変えたかった、よそ様に迷惑をかける生き方だけはしたくなかった。
その一心だった・・と話してくれた。

もし、何でも望み通りにできると言われたら何をするかの問いに、やはり仕事をしているとの答えだった。

温泉にいきたい、贅沢をしたい
私が思っていた答えではなかった。

そして、私に遂げてもらいたいことも初めて耳にした。

そうあって欲しいという祖母の願いだった。
ずっと思っていたとのことだった。

戦後厳しい時代を生き抜いた祖母の知恵を、力を無駄にしないように、きっと祖母の願いがかなう日が来るように、頑張りたいと思った。

二人が悲しむようなことがあってはいけないのだ。

祖母の血圧を測り、脈を触れながら、祖母のまだまだ!という生きる力があたたかい手を通じて
伝わってきた。

私も負けないぞ。
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by fukui2006 | 2008-01-07 01:59