IT企業塾*挑戦の日々

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2008年

元旦。
早朝4時から恒例のおにぎり作りが始まった。なれない作業に加え、クーラーにあたり続け
祖父の祝いの準備とサンゴンに、祝い唄を聴きながら、気づけば泥のように眠っていました。
これを毎日続けている母に頭が下がる想いがした。


長い人生を生き抜いてきた祖父、祖母、いつも元気を与えてくれる。

小さい頃からよく病気をして、赤ちゃんの時は、ハイハイも他の子とは違い、仰向けでいつも亀のようにバタバタしていたらしい。
弱視でミルクものまない、喋らない、そして何より愛想もない、この子は長くない・・と言われていたそうだ。

祖母と幼いころの話から、自分が何もないところから、今のお店や家を建てていったこと、気づけば3時間も話こんでいた。

祖父母は、小さい頃、さびしい思いを私がしないように、一緒に遊んでくれる仲間であり、叱るときは、本当に鬼かと思うほど厳しい教育者でもあった。家族の健康をいつも心配してくれるやさしい祖母でもある。

じじバイクとよばれる、バイクのかごのせてもらい、はしゃいで、夜中まで、真剣に祖母とトランプをして、二人で笑い転げたこと、ご飯一粒のこせば、押入れに放り込まれ、閉じ込められたこと。(何度「クソばばー」と壁にらくがきしたか!)
夏の暑い夜は、蚊帳に入り、うちわで私が眠るまで仰いでくれていた・・。

今でも思い出す。

もやしの種10粒から今の家は始まった。リヤカーを引きながら、野菜を売って、ただ目標に向かって働いたこと。

女性が学問なんて必要ない時代だったけれど、子どもには絶対必要だと思って、必死で学校に行かせたこと。

商人として、女性として、母として生き抜いたことを語る祖母の表情は、世間でいう高齢者ではなかった。

経営のことなんて、学問も無かったし体も弱かった、でも何か掴みたくて、毎日リヤカーを引く生活を変えたかった、よそ様に迷惑をかける生き方だけはしたくなかった。
その一心だった・・と話してくれた。

もし、何でも望み通りにできると言われたら何をするかの問いに、やはり仕事をしているとの答えだった。

温泉にいきたい、贅沢をしたい
私が思っていた答えではなかった。

そして、私に遂げてもらいたいことも初めて耳にした。

そうあって欲しいという祖母の願いだった。
ずっと思っていたとのことだった。

戦後厳しい時代を生き抜いた祖母の知恵を、力を無駄にしないように、きっと祖母の願いがかなう日が来るように、頑張りたいと思った。

二人が悲しむようなことがあってはいけないのだ。

祖母の血圧を測り、脈を触れながら、祖母のまだまだ!という生きる力があたたかい手を通じて
伝わってきた。

私も負けないぞ。
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by fukui2006 | 2008-01-07 01:59